徳永エリ|立憲民主党北海道参議院選挙区第3総支部代表

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2010.03.11
北海道の春は、これ!!

昨日、私の妹のような存在の(私が勝手に思っているだけかもしれませんが・・。)
ある方から、素敵な長靴を頂きました!!
遊説に履いて下さいということで・・。とても嬉しいです。ありがとう!!

今の長靴はカッコイイですよね。

北海道の春は長靴が一番!!

後援会事務所には、鳩山総理他、沢山の方々から送っていただいた
勝利を願っての「為書き(ためがき)」が貼られてます。
見ていると元気が出ます。ありがとうございます。


また、お皿の中の栗、昆布、スルメは選挙の縁起物。

栗は昔、戦場で武士たちの携帯食にしていたのだそうで、「かち栗=勝ち栗」といい、勝利につながる縁起物です。

昆布は昔から日本では、昆布を「広布」ヒロメと言い、その長い姿が縁起の良さを想像させることから、「勝って喜ぶ」に通ずるものとして出陣式には必ず昆布が飾られたんですって。

そして、スルメのことを「あたりめ」と言いますよね。「あたり=当たり」験を担ぐ商人たちが「賭け事でお金を擦る」などを連想させる、スルという言葉を避けて反対の当たりという言葉を使って「あたりめ」と呼ぶようになったそうです。


この縁起のよい、食べ物は戦いの三種の神器ですね。



2010.03.10
事務所の紹介…その1。

今日は、酷使し続けた身体を休める意味も含めて、札幌市内で政策の勉強を中心に脳の酷使に時間を費やす予定です。

活動レポートに代わって、事務所内を紹介します。


現在は札幌在住の、書道家の樋口雅山房(ひぐち・がざんぼう)さんが「絆」の書を寄贈してくださいました。

雅山房さんは、宇崎竜童氏の「竜童組」の題字を書いたり、デザイナーの山本寛斎氏のTシャツやファッションショーの題字を書いたり、ほかにも様々な場面で活躍しているすごーい書家なのです。

ちなみに、国会議事堂内の議員の名札も手掛けたこともあるのです。

写真左が雅山房さん。徳永エリ選挙対策本部長の佐々木隆博衆議院議員と事務所開きの際に写しました。



2010.03.09
「鳩山由紀夫新春の集い」にお邪魔しました。

2月8日、朝一から衆議院議員の山崎まやさんとの旭川市内での行動から、苫小牧へ。
苫小牧グランドホテルニュー王子にて開かれた「鳩山由紀夫新春の集い」に参加させていただきました。

多忙な総理に代わって、ファーストレディの幸(みゆき)夫人が挨拶をなさいました。

会の終了後、約1,000人の参加者一人ひとりをお見送り。
たくさんの方々に応援の声をいただきました。



2010.03.09
苫小牧から旭川へ。そして、苫小牧。

6日土曜日は朝10時から、ご挨拶まわりや、党支部の大会、国会議員の報告会、懇親会などでご挨拶をさせて頂き、7日、8日は苫小牧、旭川の移動を繰り返し、ハードなスケジュールでありました。


7日は新党大地の新春の集いが苫小牧のホテルニュー王子で開かれ、6日参院選で私を推薦する方針を表明してくださった鈴木宗男代表が大変ありがたいエールを送ってくださいました。
力を一杯頂きました!


8日は、午前中、衆議院議員の山崎まやさんと一緒に旭川でご挨拶周りをさせて頂きその後、苫小牧へ。午後6時から前日と同じ、苫小牧のホテルニュー王子で鳩山由紀夫新春の集いが行なわれました。多忙な総理に代わってファーストレディー、幸夫人がご挨拶をなさいました。
明るくって、エネルギッシュで、魅力的な方でした。


写真見ました?私が地味な服装だったこともあるのですが、幸夫人の方が若い!!
見習わなくっちゃ。
集いの終了後、小川勝也参議院議員、幸夫人、私と3人で約1000人のお客様のお見送り。沢山の方々に応援の声を頂き、嬉しかった!!ありがとうございます。



2010.03.06
あっという間に3月になりました。

あっという間に3月になりました。年が明けてから去年の暮れまでは全く考えてもみなかった状況になり、本当に毎日が風のごとく吹きぬけていきます。
1月19日、出馬表明の記者会見開くまでは、お断りしようと思ったり、いや、挑戦してみようと考えたり、また、見知らぬ世界に入っていく事が恐ろしく思えたり、憂鬱な日々が続きました。
でも、心を決めてからは晴れやかな気持ちで前を向いて歩いています。
民主党にとっては厳しい逆風が吹いていますが、何のその。改革の第一歩です。


先日、永田町に2回ほど行って参りましたが、官僚主導の政治から、政治家主導の政治に変わって、民主党の、北海道選出の国会議員の方たちは本当に不眠不休で働いています。
何でも外から見るのと、実際に中に入って見るのとは全然印象が違うものです。


メディアに取り上げられるネガティブな情報に囚われぬように、インターネットなどで色々な情報や意見を調べて、自分なりの考えを持って政治の動きを見なければなりません。
民主党政権に代わって、今まで自民党には出来なかったことが色々と実行されています。
今、問題とされている「政治と金」に関しても、古い体質が露呈して、それが悪しきものと国民が判断するのであれば、民主党政権において新たに法制化していけばいいのです。
今は、変化のときです。
暫くは、民主党の頑張りを見ていてください。
民主党政権になってどんなことが変わったのか、近いうちお伝えします!!


さて私、今は毎日ご挨拶周りで飛び回っております。
明日は、旭川、苫小牧に行ってきます。
色々な方たちとお逢いできる事を今、嬉しく思っています。
活動報告もどんどんしますね。



2010.02.28
たくさんの激励、ありがとうございました。

先程、無事、盛会に事務所開きを終えることができました。

おおよそ200名の方々にご参加いただきました。
本当にありがとうございました。

写真にて、様子を感じていただければと思います。

まずは、アトラクション。
最愛の息子さんに、ご祝儀もので有名な「老松(おいまつ)」を舞っていただきました。

徳永エリ選挙対策本部長に就任した、佐々木隆博・農林水産大臣政務官の挨拶。

民主党北海道代表の三井辨雄衆議院議員からの激励。

そして、徳永エリが決意を表明しました。
友人からの花束に感激です。

参加者全員が、牛乳で乾杯!



2010.02.26
「徳永エリOfficial WEB」開設のご挨拶

本日より、徳永エリ公式ホームページを開設いたしました。活動の様子、日頃の思いなど、さまざまな情報を発信してまいります。

このホームページを通して、ぜひ、徳永エリに注目、応援していただければと思います。よろしくお願いいたします。



2010.02.26
事務所開きのご案内。

徳永エリの活動の拠点となる後援会事務所が決まりました。

2月28日(日)午前11時30分から事務所開きを開催いたしますので、ぜひお足をお運びいただき、徳永エリを激励くださればと存じます。

事務所住所:札幌市中央区南1条西5丁目17-2 プレジデント松井ビル1階
TEL:011-218-2133

大きな地図で見る



2010.02.26
徳永エリの思いをつづる「eriコラム」開設

連日、北海道内を飛び回っている徳永エリ。このコラムでは、徳永エリ本人が、全道各地でじっくり聞いたこと、感じたことをつづっていきます。更新をお楽しみにお待ちください



2010.01.05
T君の死に思う



 明けましておめでとうございます。

 慌しく、2009年が過ぎ行き、2010年を迎えました。

 昨年は私にとって、忙しさに追われて体も、心も疲れきった感じでした。特に、人からの頼まれごとが多く、予期せぬトラブルも起き、独りで全てに対応するのはキャパオーバーでした。

 でも、その中でまた、自分について多くのことを学んだ気がします。私の一番いいところが時として、一番悪いところにもなるのだということ。

 今年は私の干支。年女であります。トラ、トラ、トラ。大きな変化が起きるかもしれません。息子も高校を卒業し、東京に行くと言っています。私がこれから彼にしてやれることは、大学の四年間の経済的な援助のみ。もう、毎日ご飯を作ることも、お弁当を作ることも、何やかにやとうるさく言うこともなくなってしまう。家の中では独りになります。この時間とエネルギーを去年の反省を踏まえつつ、何に向けていくか。真剣に考えています。

 ただ、30年間、TVレポーターとして生きてきた、また、様々な自分の経験を力に出来るような、そして少しでも人の役に立つような仕事をしていきたいという気持ちは揺るぎません。

 この世に生まれてきたからには、自分の幸せだけのために生きていくわけにはいかない気がします。幸い、心も体も健康な状態で息子を社会に送り出す役目は果たせそうなので、残りの人生は”笑顔作り”自分の周りの人たちの笑顔のために生きたいと思います。

 さて、新年最初のモノ申すです。

 年末、私の店「風音」の看板の字を書いてくれた、そしてUHBで、フリーでディレクターとして頑張っていたT君が亡くなった。まだ、37歳だった。肝臓ガンが全身に転移していました。私が彼に逢ったのは、彼が22歳の頃。トーク DE北海道がスタートする前に、ポテトという番組があって、私はその番組の中で、隔週でシリーズ女という特集を担当していました。企画、ブッキング、演出、すべて担当のディレクターと一緒に作り上げるものでした。

 当時あまりテレビでは取り上げることのなかったセックスレスや、虐待、ジェンダーの問題など果敢に挑戦していきました。ある日、若いのに優秀だったT君が担当になりました。

 「僕にはエリさんとの仕事は、荷が重過ぎます。緊張します!」と初々しく話していた彼の姿が昨日のことのように私の心によみがえります。

 以後、彼とは思い出に残るおもしろい仕事を色々としてきた。

 彼の一番いいところは、納得のできないこと、自分の中で理解が不充分な事はやらないというところだった。やりたいと思ったテーマは理解するまで調べ、多くの人に逢い、取材に入るまでに時間をかける人でした。

 結婚もしていない、子供もいない彼が、夫婦の問題や親子の問題を取り上げるときには、「エリさん、お母さん仲間、集めてくれますか?お昼でも食べながら、皆さんの話を聞いて参考にしたいんです」と身銭を切って場を作り、彼なりに理解できたところで取材に入ります。新聞や週刊誌の受け売りや、思い込みでの見切り取材は絶対にしない人でした。

 ぐんぐんと成長し、いつの間にか押しも押されもしない優秀なディレクターに成長した。そんな彼に私は、自分が27歳のときインドの寺院に瞑想修行に行った話をし、「あなたのような人間は小さくまとまってはダメ。独り身のうちに、自由が利くうちにどんどん経験を積んで見識を広め、感性を養ってもっと大きくなりなさい」といつも話していました。

 しかし、彼は会社を辞め、修行の旅に出て、帰ってきたときに仕事があるだろうかと心配し、その心配が邪魔をして思いはあっても、なかなか実行できずにいたのですが、ある日突然、会社を辞め、アジア諸国への貧乏旅行へと旅立ったのです。私は嬉しかった。大きくなって、深くなって帰ってくる彼の姿を想像し、彼の事を弟、息子?のように思っていた私は誇らしかった。

 すっかり旅の魅力にとりつかれた彼は、その後、何度か旅を繰り返し、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなって、戻ってきた。そして、フリーのディレクターとしてUHBに戻った。

 社内で見かける彼はいつも忙しくしていた。仕事が出来るがゆえにあらゆることをまかされる。期待される。彼なら出来て当たり前。さらにフリーであるがゆえに、休めない。社員と違って休んだら収入が無いからだ。体も心も無理をする。決して弱音を吐かず、人の悪口も言わず、静かにちょっとさみしげに微笑んでいる人だった。

 いつも彼に目線を運びながら、私は彼の気持ちが痛いほどわかっていた・・・と思う。

 亡くなる一月ほど前、入院中の北大病院に彼を見舞った。辛い体をおして、院内のスターバックスでコーヒーを飲みながら一時間ばかり、他愛のない話をした。その中で「今、家賃も生活費も治療費もみんな親が払ってくれているんだ。生活の心配をしないでゆっくりできるのはいいよ」と言ったことが切なかった。

 自分を磨き、成長させ、貴重な人材として働いているのにもかかわらず、具合が悪くても休めない、休むと収入が無くなる。何だかおかしい、病院に行かなければと思っていても予定してた日に仕事が入って、先送りにしてしまう。フリーは休ませてくださいがなかなか言えない。言いづらい。そのうち病魔が体を蝕んでどうにも辛くて病院に行ったときには手遅れということになりかねないのだ。彼がそうだった。かなり前から体が痛かった、辛かったのを我慢して頑張っていたのだ。

 会社員で、給料を貰っている人には、企業に守られている人にはこの気持ち、この状況、この苦しさはわからないだろう。

 T君、お疲れ様。そして、ありがとう。私はあなたに逢えて本当に良かった。あなたの姿、あなたの声はずっと、わたしの心の中にあるでしょう。私の人生における出逢いの中で数少ない、大切な大切な人です。

 風音の看板と、我が家の表札。私と息子の名前が楽しそうに並んでいます。国際短編映画際の賞状に書いてくれた受賞者の名前。世界に80人もの映画監督があなたが名前を書いた賞状を持っています。味のある、心のこもった素敵な字です。あなたしか書けない字です。
ありがとう。ゆっくり休んでください。

 そして、空から時々、私のぼやきに耳をかして下さいね。さみしいよ・・・。




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