いよいよ、東京へ
掲載日:2010.07.28
いよいよ、東京へ向かう。
参議院議員としての任期は26日から始まっているが、実際に仕事に入る。
議員宿舎はまだ入居できないということで、今臨時国会はホテル住まいとなる。
なんだか落着かない。
羽田空港から浜松町にモノレールで向かう。
三十年前、高校を卒業して上京したときこのモノレールの中から見えた景色は今とは全く違う。しかし、家族や友人と別れ、不安と期待と複雑な気持ちで窓の外の景色を見ていたあのころが蘇る。あの時と同じ気持ちかもしれない。ちょっとだけ涙が出た。
これまでと全く違う生活、ふるさと北海道のために、国民の幸せのために、選挙戦の中で多くの方々にお逢いし、本当に力になりたいと思った。
その思いはどんどん強くなっている。
新しくなった参議院会館に着いた。
ジャケットにバッチが付いている私に、永田町勤務の警察官が敬礼する。
身が引き締まる。
701号室、これから永田町で私をサポートしてくれる柳生秘書が迎えてくれた。
永田町生活10年のベテラン秘書である。
群馬県選出、富岡参議員の秘書を勤めていたのだが、今回の参議院選挙で残念ながら落選となり、柳生秘書は職を失った。しかし、大変に優秀な方であると、佐々木隆博政務官の秘書で秘書会会長の鬼ヶ原さんの推薦で私の秘書になって頂いた。
国会議員の秘書は国家公務員特別職。自分が仕えている議員が落選、或いは辞任した途端に職を失うのだ。失業保険は無い。
参議院の秘書は6年間、職が継続するが、衆議員の秘書はいつ、解散になるか、果たして自分のところの議員は選挙に勝てるのか、まさに自分の進退がかかっているのだ。
大変な仕事である。
23年度の予算委員会が始まる前なので、北海道から首長さんたち、団体の代表らが次々と要望書を手に事務所を訪れる。
いきなり仕事が始まった。
そして、北海道からTV局の取材も新聞の取材も入る。
税金の無駄使いではないかという、この新しい議員会館にかなり興味があるらしい。
確かに会館全体としてはかなりりっぱである。
しかし、以前の会館の議員事務所は本当に狭く、使いづらく、来訪者に失礼なところもあった。
陳情団は10人、15人ということもある。以前の議員事務所だったらまず、人が入らない。しかも、資料を広げるのが応接セットのテーブルの上だったので、姿勢も悪く、落着いて仕事ができるような環境ではなかったのだ。
議員事務所は最低限、このくらいの広さが必要だと思う。
初会合は、両院議員総会。参議院選挙の総括である。
会場の壇上には民主党執行部のおなじみの顔ぶれ。疲れた表情で菅直人総理が座っている。
総会はマスコミにフルオープンで進められた。国民に開かれた民主党にということなのだろうが、どうなのだろうか。知っていただかなければならないことと、話し合った結論をお伝えしなければならないところが何となく間違っているような気がする。
見たくもないこと、知りたくもないことが国民にだってあるのだ。
予想どおり、大揉めに揉めた。
参議院選挙の候補者として、本当に厳しい環境の中戦ってきた、そして道民の声を一番近くで聞いてきた私としては手を挙げて発言したかったが、一年生、初日。さすがにできない。でも、この総会でいきなり新人気分は吹っ飛んでしまった。