岩手県 山田町
掲載日:2011.10.11
連休は、久しぶりに山田町に行ってきました。花巻空港からレンタカーを借りて約2
時間。瓦礫はほとんど片付き、建物の基礎だけが残っています。これからは、もう使
えないけれども形を残している建物の解体、撤去です。大変にお天気が良く、美しい
三陸の海にカキやホタテの養殖棚が並んでいて、国から補償もされる事だから、皆さ
ん漁業の復興に向けて頑張っているんだろうなと思っていました。養殖棚も新しく
なったんだろうと思っていましたら、漁師さんたちは絶望的な気持ちになっていて、
私がお話ししたほとんどの方はもう養殖は止めると言っていました。「代々、ホタテ
やってきたから名残惜しい気持ちはあるけど、借金はできないし、仕方がない」目に
はうっすらと涙が浮かんでいました。どの段階の問題なのか、いくら国で補償を決め
ても漁業者の方たちのところに下りていかなければ何の意味もありません。船が残っ
ていも、漁をするための漁具がありません。水揚げが出来ても、市場も冷凍庫も、冷
蔵庫もなく、製氷施設もありません。町の復旧、復興の優先順位は何なのか、しっか
りと考えなければなりません。漁業の町なのですから。漁師さんたちが漁が出来なけ
れば町は成り立ちません。高齢で新たに仕事を見つける事も難しいでしょう。国民年
金では満額受給しても生活はできません。この先、どうやって生きていくのか。何と
かしなければなりません。仮設住宅の中も見せて頂きました。山田の仮設住宅は外壁
に断熱材を貼りつける作業は大体終わっていました。しかし、床には何も入っていま
せんので、床から冷えがきそうです。皆さんが想像する以上に、被災地の方々は厳し
い環境にいます。被災規模が余りにも大きく、なかなか復旧・復興が進められず、起
きてくる問題に対処していく事しか当面はできないかもしれませんが、とにかく不安
材料を一つ、一つ取り除いていく努力を行政も国も全力でやらなければなりません。
旭川から行っている、ボランティアセンターの岡田さんは、山田町の復興支援参与に
なり頑張っていました。
まだまだ、沢山の方々が全国から駆け付けボランティアで働いています。山田町応援
団の高松さんにも逢ってきました。義援金を募ったり、バザーを開いたり、街燈を寄
付したり、消防団の資材置き場を作ったり、フェイスブックなどで呼びかけ仲間を増
やし、色々な支援をしています。今回は東京の設計会社の若者たちが津波の被害をビ
ジュアルで見て被害の規模や状況をしっかりと頭にやきつけてもらいたい
という事で、立体地図を作りそこに過去の津波被害も落とし込んだものを持ち歩い
て、山田の方々に見せて話をしていました。「何かに役に立たないですかね」と聞か
れましたので私なりに考えて、アイディアをお届けできればと思います。また、これ
からも山田に通います。