ミヤンマーから戻りました。
掲載日:2013.08.14
今朝、バンコク経由でミヤンマーの都市、ヤンゴンから戻りました。明日、写真をアップしながらミヤンマーでどこに行き、誰に会い、何をしてきたかをご報告しますが、まずはミヤンマーについて少しだけお話をしておきます。日本も含めた国際社会は、ミヤンマー政府の民主化へ向けた改革方針を高く評価して、経済支援やこれまでの制裁解除に大きく動いています。さらに、インフラ整備や医療、教育等の支援は世界各国から多く寄せられています。日本政府も2011年10月に凍結していたODAを再開。さらに、2012年4月には新たな経済協力方針を示し、様々なプロジェクトが進められています。アウンサンスーチーさんの自宅軟禁の解放、選挙を経て国会議員となり、2015年の選挙ではNLDが圧勝する事は間違いなく、それまでに憲法が改正されればスーチーさんが大統領になる事もあり得る。民主化が進み、これから経済的にも成長し、伸びゆく国というイメージが、おそらく私たち日本人の中にはあるでしょう。しかし、本当にそうなのでしょうか?そして、ミヤンマーに対して日本が今すべき支援は経済支援なのか?ある意味、アウンサンスーチーさんの存在を軍がプロパガンダとして利用しているとしたら・・・。ミヤンマーにはおよそ20の独自の文化を持った少数民族が暮らしています。彼らは自分たちの伝統や文化、平和な生活を守るために自治権を求めて長い間、ビルマ軍事政権と闘ってきました。その中でも今年の5月まで激しい戦闘が行われていて、今は停戦状態にありますが10万人を超える人々が故郷の村を追われ難民キャンプで生活をしている、カチン民族の方々にお会いするために、ミッチーナという町に行って来ました。様々なチャンネルで和平に向けて交渉は続いているものの、食べるものもない、医薬品もない、子ども達は教育を受ける事もできない、戦争もいつまた起きるか解らないとう緊張状態の中で暮らしている。その様子は、日本でニュースから受けるミヤンマーのイメージとはかけ離れたものでした。経済支援と同時に、透明性のある形で、必要な人に必要な支援を届ける必要があります。私たちは、実際にこの目でその様子を見て、そして、話をしっかりと聞いてきましたので、国会でも訴えていこうと思っています。