山田町へ再び


掲載日:2011.05.11

5月3日 午後9時15分 苫小牧港からフェリーで青森へ向いました。岡内秘書他、総
勢6人で車2台で、支援物資等を積み込み乗船。翌日、朝5時過ぎに青森に到着し、弘
前に向いました。弘前城の桜が満開だと聞いていたので、どうしても見てから岩手に
向いたかったのです。早朝の弘前城周辺にはまだ人も少なく、美しい桜にしばし癒や
されました。盛岡県の支援物資集積所、岩手県産業文化センターアピオに行きまし
た。広い施設の中、また外に張られた無数のテントの中には支援物資が山のように詰
まれていました。生鮮食料品以外は何でもあるそうです。缶詰や調味料、カレーやシ
チューのルー。車椅子や、ガスコンロ、水、衣料品や運動靴、皮靴に長靴。ポリバケ
ツやゴミ箱、洗面器、湯たんぽ、乾電池。私が山田町の避難所から、支援物資として
届かないので何とかしてもらえないかと言われた物のすべてがある感じでした。どう
して避難所に届かないのでしょう。何が問題なのでしょう。今回は山田町から子ども
の運動靴が欲しいといわれていたので、運動靴のメーカーに電話をして、提供してい
ただくか買わせて頂くかをうかがったところ、「岩手県には何万足も送りましたよ」
との事。岩手の主濱議員に伺うとアピオにあるかもしれないから調べて下さるとの
事。在りました!そこで、私が直接アピオに行って運動靴を受け取り届けることにな
りました。サイズも種類も沢山あるのに、なぜないことになっているのか、被災地に
届けたら、新学期を迎えた子どもたちがどんなに喜ぶことか。この状況何とか改善せ
ねば。その後、県庁の災害対策本部に伺い、物資を受け取った事を報告。少しお話を
させて頂いた後に、山田町の役場に向いました。まずは町長さんをお訪ねし、お話を
邪魔にならない程度にさせて頂きました。そして、山田南小学校に運動靴を届けに行
きました。前回、行った時に役場の南小担当の小原さんと顔見知りになりましたの
で、小原さんとそれまで色々連絡取り合っていました。爪きりが欲しいといういうこ
とでしたので、岐阜の小見山議員にお願いし、爪切りを持っていきましたらすごく喜
んでくれました。今回は災害ボランティア室の調査もありましたので、山田町の避難
所を阪口代議士と担当分けして回らせて頂きました。山田町の避難所を半分回るだけ
でも丸一日。でも、どこにお邪魔しても皆さん穏やかに、きちんとルールを作って生
活しておられましたので安心しました。衛生環境も良く、病気の人も少なかったで
す。今回は札幌短編映画祭から、こどもの日のプレゼントとして、短編のアニメー
ション作品を持って行き、上映会をさせて頂いたり、ボランティアセンターの仕事に
参加し、公営住宅の津波に浸かってしまった家具出しや、ヘドロを掃除したり体も
使ってきました。役場の隣の公民館の避難所で、遺体の捜索をしている漁師さんに出
会いました。山田町ではまだ378名が行方不明です。実はそのお父さんたちも、二
人とも息子さんが行方不明ということで「そろそろ、息子に逢えるんじゃないかと思
いながら捜索しているんだ」とおっしゃっていました。ちょうど、私がお話した5日
ほど前にお一人の遺体が海から見つかったそうですが、相当に厳しい状況のようで
す。2日に補正予算が通って漁場復旧対策支援事業による、瓦礫撤去をやりたいとい
う方の募集が始まっていたり、義援金の申請も始まっていました。仮設の建設も一ヶ
月前から見たら随分と進みました。それから、元あった商店の場所で、まわりは瓦礫
の山ですが食料品の販売を始めている方もいました。被災地の皆さんは今、自分の出
来る事を一歩ずつ始めています。そして、釜石で「復興の狼煙ポスタープロジェク
ト」というのを発見。ポスターの被写体は東北の被災者。キャッチコピーも被災者の
方が考えました。「前よりいい町にしてやる。」「諦めるなと帆立が言う。」ほかに
も13種類あります。インターネットで購入できて、経費を引いた売り上げが被災地の
自治体に寄付されるそうです。是非、皆さんもこのポスター貼って応援してくださ
い!最終日、山田町の豊間根中学校の避難所で、まだ、体操マットの上で寝ている高
齢者がいるので、何とか畳が手に入りませんかと言われていました。主濱議員にお願
いしたところ、畳ゲット!畑代議士と秘書の方たちが30枚畳を運んでくださるという
ことで、豊間根中学校で合流。一緒に畳敷かして頂きました。避難所で暮らしていた
おばあちゃんが私にティッシュで包んだ四葉のクローバーを見せてくださり「今朝見
つけたんだよ。何かいいことあるかなと思っていたんだけど、畳だったんだね。今日
から畳で眠れるんだ。嬉しいよ。」と涙ぐんでおられました。札幌の商工会議所の
方々が、こどもの日のイベントを開いていたり、稚内から沢山のほっけを積んで、山
田町の方たちに配っていたり、帯広や渡島や北海道の役場の方々も沢山応援に入られ
ていました。ボランティアにも北大生や北海道から沢山の人たちが参加しています。
また、自衛隊の方たちも札幌、旭川などから派遣されている方々に沢山出逢い、山田
町は私にとって少しづつ身近な町になっています。盛岡から、風光明媚でトリッキー
な山田線に乗って、復興した山田町に遊びに行く日を目標に、私も出来る限りのお手
伝いをしていくつもりです。

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